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「信心銘」by OSHO, 第七章、⑭

 
 究極なるものに 原因はない。
なぜといって、その原因が どこから来ると言うのか。

その究極なるものこそ全体だ。
究極なるものは、関係ではない。
何と関係できると言うのか。
それは 独り在る。


 では、どうしたらいい。
どう言ったらいい。
何かに関係があるのだったら、それについて 何かを語ることができる。
何か原因によって 引き起こされる物があるなら、それについて 何かを語ることができる。
なぜなら、少なくとも、そこに〈二〉が入って来たからだ。

言葉は そこに 二つのものがあれば、可能になる。
もし、ひとつのものしかなかったら、あらゆる言語は まったく馬鹿げたものになってしまう。


 この原因のない〈一なるもの〉を、どうしたらいいのか。
できることは たったひとつしかない。
それは 自分の中に、原因のない何かを 見つけることだ。

自分の中の〈一なるもの〉を 見つけなさい。
そうすれば、人は 正しい道にいることになる。


 哲学のことなど 放っておくがいい。
あれこれの議論に 首をつっこみ続けることはない。

無数の議論がある。
そして あらゆる議論は縺れる。
そして、あらゆる哲学は、新しい束縛になる。
哲学とか、教義とか、聖典などで 頭を悩ませるのはやめなさい。


 あなたは ただひとつのことをしなさい。

それは、自分の中に、因果によらぬ何かを見つけることだ。

自分の中に、〈一〉なる何かを見つけることだ。

そして それは同じことだ。
〈一なるもの〉だけが 無因のものであり得るのだから。


ひとたび、自分の 内なる無因のもの、〈一なるもの〉の 小さな一瞥を得れば、あなたは 道を見つけたのだ。
もう終着地は さして遠くはない。
そして もう、あなたは 何もする必要はない。
今や、引力のように、終着地 自らが 引き寄せてくれる。
今や、磁石のように、あなたは そちらへ引き寄せられる。
もうあなたは、磁力の及ぶ 磁界に入ったのだ。

あなたに必要なのは ひとつのこと、その磁界に入ることだけだ。
そこからは、中心が 引き寄せてくれる。
そうなれば、どんな努力も必要ない。


 努力のすべては、いかにして自分の 生命エネルギーと接触するかにある。
その接触は 失われ、壊されている。
人は そのすぐ側にいる。
だが、すぐ側でも やはり距離はある。
ほんの小さな転回、ただ後ろを振り返るだけでいい。
それで 物事が変化し始める。


 それが起これば、あなたは 笑うだろう。
どうして こんなことが難しかったのか、と。
だが、それが起こっていないうちは、それは 難しい。

どうして、僧サンのような人達は、今にも、この瞬間にも、すぐにも それは起こり得る、と 言い続けるのだろう。

自分の中の 因果によらない〈一なるもの〉を 見つけようとしてごらん。

それを どうやったらいいのか。
私と一緒にやってみなさい。
いつまでも変わらずにいる ひとつのものを見つけるのだ。

…⑮に続く