「信心銘」by OSHO, 第七章 ⑬

 
 “想いがどんな区別もしなければ、

 万物は、そのあるがままで、

 ただひとつの精髄の顕われになる。

 この精髄を理解することが、

 あらゆる混乱からの解脱だ。

 一切が等しく見える時、

 永遠の自己に到達している。

 そこは比較も不可能な、

 因果の絆の断たれたところだ。”



 それが、究極の明知については 何ひとつ語り得ない理由だ。
それが 一体性であるのに、言葉は 二元性のために 存在しているからだ。

何かを 言うことはできる。
だが、何を言おうと、正当なことにはならない。
それは 別のレベルの、別の次元のことだからだ。



 クリスマスが近づいていた。
ある実業家の大物が----彼は大富豪だった----息子に尋ねた。
「クリスマスのプレゼントに、おまえは 何が欲しいかね」

「弟が欲しいな」と 男の子は言った。

「でも それには 時間が足りないな。もう二週間しか ないからね」と その大物。

そこで男の子は 言った。
「それが どうしたの。
もっと人手を まわせばいいでしょ」

 何しろ その子は、どうしても しなければならない仕事なら、人手を増やせ、と言っているのを いつも聴いていたからだ。
「どうしてさ。何を困ることがあるの。
もっと人手を 増やせばいいじゃない」

 そして、この子供に、彼の 言っていることが間違っていると伝えるのは難しい。
彼は 完璧に論理的だ。


 これこそが 状況だ。
あなた方は〈多〉の世界を 知っている。
この子供は、自分をとりまいている 仕事の世界を知っている。
それがすべてだ。

毎日それは 起こっている。
この金持ちの父親は、いつも、たくさんの人手を投入して、どんな仕事も 瞬く間に 片付けている。

彼は その言語なら 知っている。
しかし その子は、生命が どんなふうにこの世にやって来るかという神秘など知らない。
「その仕事に もっと人手を増やせばいいでしょ」。
その子は論理的だ。
そして その子が成長しないかぎり、成長して 自分で分からないかぎり、それを本人に 分からせるのは難しい。



 あなた方は 二元性の言葉、この世の言葉しか知らない。
そのあなた方に、その〈一〉なる精髄について どんなことを伝えるのも不可能だ。

何を言ったとしてもそれは、違ったふうに理解され、誤解されてしまう。

あなた自身が 成長しないかぎりは。
これが 問題のすべてなのだ。

 しょっちゅう 私の所にやって来て、いろいろな質問をする人たちがいる。

その人たちの質問は もっともだ。
だが、私には答えられない。

それは、彼らが成長しなくては、その解答は 不可能だからだ。

そして その人たちは、質問したからには、できあいの解答が あるに違いないと考えている。

その人たちは、質問することができたら、明確な問いを 出すことができたら、それで充分だと思っている。
さあ今度は 答えを下さい、というわけだ。


 だが、その人が 成長して初めて、与え得るような解答というものがある。
しかも、これが問題なのだが、その人が 成長した時には、もうその人に その解答を与える必要はない ということだ。
人は ただ理解する。

この子供が成長した時には「あの時の 君の言い分は 馬鹿げていたんだよ」と、言う必要があるだろうか。

彼は笑って言うだろう。
「うん、分かってる。
あれは人手をふやすって仕事じゃないからね。
全然 仕事なんかじゃないんだから」と。


 成長すれば、あなたは 理解する。
だが、質問するのは、あなたが 子供のような時だ。

そしてあなたは、自分の質問は正しいのだし、解答が 与えられるべきだと思う。

真理は 何ひとつ言葉にはできない。
そして語り得ることはすべて、常に 似たようなこと、おおよその話に過ぎない。

そして いいかね、おおよその真理というようなものはない。
それは 真理か、真理でないかの どちらかだ。
だから何であれ、語られることには
意味がない。


 自分が 知った時、人は笑うだろう。
しかし、他に やり方はない。
他に できることはない。

だから、僧サンや仏陀や その他の人達の あらゆる言葉は、ただ あなた方を成長へ誘うものに過ぎない。

彼らの 言葉そのものは、さして重要ではない。
もし、人が興味を惹かれ、自分が それについて 何ひとつ知らない領域へと成長し、向かい始めるなら、それこそが 肝心なことだ。



 “想いがどんな区別もしなければ、

 万物は、そのあるがままで、

 ただひとつの精髄の顕れになる。

 この精髄を理解することが、

 あらゆる混乱からの解脱だ。

 一切が等しく見える時、

 永遠の自己に到達している。

 そこは比較も比喩も不可能な、

 因果の絆の断たれたところだ。”


…⑭に続く

「信心銘」by OSHO,
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所