「信心銘」by OSHO, 第七章、⑨

(…変容は決して段階的なものではあり得ない。それは常に即座のものだ。)


 ジャイナ教に こんな話がある。
ある男が 一日の仕事から疲れて家に帰って来た。
妻が 彼の行水の世話をしていた。

これは古い話だ。
今では どんな女性も 夫の汗を流したりはしないが。
妻は 行水の世話をしていた。
夫の身体に 水を注ぎかけ、夫の疲れた四肢を 冷やしながら話をしていた。

「弟が マハビーラの信者になったんですよ。
それで 出家を考えているようです」

男は 笑って言った。
「考えている。それじゃあ、決して出家はしないな」

妻は 傷ついた。
何しろ自分の弟のことだ。
彼女は言った。
「それは、どういう意味ですか。
それに私、あなたが マハビーラとか、仏陀とか、そんな人の所に行く所なんか見たこともないわ。
それで ご自分は分かっていると思ってらっしゃるのね。
弟は 大学者です。
だからマハビーラの言うことを 理解しているんです。
それに 瞑想もしているし、礼拝もしています。
宗教的な子ですから。
ところが あなたはどう。
私、あなたに何も宗教的なものなど感じないわ。
あなたが お祈りしているところも、瞑想しているところも 見たことがない。
それなのに随分勇気が おありだこと。
あの子が決して 出家しないなんて、そんなこと よく言えるわね」

夫は 立ち上がった。
行水をしていたので 裸だった。
盥から出て、そのまま 通りへ出て行った。
妻は 叫んだ。
「気でも 狂ったの。 何をしているのよ!」

「俺は 出家したよ」と 男は言った。

 彼は 二度と再び帰らなかった。
これこそが 理解した人間だ。

彼は 決して準備などしなかった。
宗教的な人間だと知る者など 一人もいなかったが、男は こういう男だったのだ。
彼は マハビーラの所に行き、自分を明け渡し、裸の ファキールとなった。

妻がやって来た。
涙を流し、声をあげて泣いた。
妻の 弟さえもが、説得しにやって来た。
「何も急ぐことはありません。
私を見て下さい。
私は このことについて 二十年も考えています。
ところが、あなたときたら気違いだ。
これが 出家のやり方ですか」

男は 応えた。
「俺は 気にしない。
他に やり方があるのかね。
二十年間、あんたは 考えて来た。
この先、二十回の生涯に亘って 考え続けるだろう。
だけど いつあんたが 出家するにしても、その時は、やっぱり、こんな具合にやるだろう。
やり方は、これしかないんだから。
その場でやるしか」


 事態を はっきりと見てとれば、それは 起こる。
問題は 明晰性だ。

事の本質を 直載に見るなら、将来いつか変化するなどということは もう問題にならない。

誰も 未来に変化する者などいない。
変容は 常に 今ここだ。
この瞬間こそ、何かが 起こり得る 唯一の瞬間だ。
それ以外に 時はない。


 “もし、ひとつの眼が眠らなければ、

 一切の夢は自ずから止む。

 もし、想いがどんな区別もしなければ、

 万物は、そのあるがままで、

 ただひとつの精髄の顕れになる。”


…⑩に続く

「信心銘」by OSHO,
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所