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OSHO 「信心銘」第五章 ⑨

 
 “しかもなお、それぞれとともに、全世界を包含する。”


 分離していなくても、人は何も失いはしない。
逆に 全体を獲得する。
ところが、人は常に失うことを恐れている。
常に こう考える。
「もし自分自身を失なったら、私はもういなくなる。
そうなったら、何を得ることができよう」と。

あなたは いなくなり、そして全体を獲得するのだ。
それに、あなたが失うものと言っては他でもない、惨めさと、不安と、苦悩だけだ。
失うような何かを持っているかね。
あなたは 失うべきものなど何も持っていない。
苦しみと、束縛だけではないか。

 そして誰もが、自分の中に全世界を持っている。
自分を失えば、自分がその全世界になる。
すべては あなたのものだ。
人は 自分故に乞食なのだ。
帝王であり得るというのに・・・・、頭(マインド)こそが 物乞いの鉢なのだ。



 あるスーフィーの話を聞いたことがある。

これは最も古いスーフィーの教話のひとつだ。

 皇帝の宮殿に 一人の乞食が来た。
皇帝は ちょうど庭に出ていて、その乞食の声を聞いた。
門の側にいた男が 何か施しをしようとしていたが、乞食は こう言った。
「条件が ひとつあるのです。
私はいつも主人からしか施しを受けません。
決して 召し使いの方からはいただきません」

 皇帝は散歩をしていて、これを聞いた。
不思議に思って 皇帝はその乞食を見に行った。
と言うのも、乞食に条件などあるはずがないからだ。
乞食に どうして条件などあり得よう。
よほど珍しい乞食に違いない。
それで皇帝は見に行った。

実際それは珍しい乞食だった。

皇帝は未だかつてこんな王者のような男を見たことがなかった。
皇帝その人さえ、ものの数ではなかった。
この男は、身についたある風格を、優雅さを感じさせた。
衣服は ぼろぼろで、裸同然だったが、物乞いの鉢は とても高価な物だった。

皇帝は言った。
「なぜそのような条件をつけるのか」

その乞食は言った。
「召し使いは、本人が乞食だからです。
私は誰にも無礼なことはしたくない。
主人だけが与えることができます。
召し使いにどうして与えることができましょう。
ですから、そのおつもりなら、あなたなら施しができますし、私はそれをいただきます。
けれども、その場合にも、ひとつ条件があります。
それは、私の物乞いの鉢をいっぱいにして下さらなければならないということです」

それは、小さな鉢だった。

皇帝は笑いだして言った。
「お前は 気が違っているようだ。
余が、その鉢をいっぱいにできないとでも思うのか」

 皇帝は、廷臣達に、他に比べるものもないような珍しい貴重な宝石を持って来て、その鉢を満たすように、と言いつけた。
 が、そこで、彼らは窮地に陥った。
と言うのも、その物乞いの鉢を満たした時、その宝石は 音も立てずその中に吸いこまれて 消えてしまったからだ。
そして物乞いの鉢は依然として空っぽのままだった。


 皇帝は 進退極まった。
そのエゴのすべてが窮地に立った。

全領土を支配する偉大な皇帝が、こんなちっぽけな物乞いの鉢をいっぱいにできないとは、彼は命令した。
「みんな持ってこい。
とにかくこの鉢をいっぱいにするのだ」

 数日を経ずして、宝物庫は すべて空っぽになってしまった。
だが、その鉢は依然として空のままだった。
もう何も残ってはいなかった。
皇帝は乞食になっていた。
すべては失われた。
皇帝は乞食の足下にうち伏して言った。
「今や余も乞食になった。
そこで、ひとつだけ頼みがある。
この鉢の秘密を教えて欲しい。
どうやら魔法の鉢のようだ」

乞食は答えた。
「何でもありません。
これは、人間の欲望(マインド)でできているのです。
何も特別な物ではありません」


 あらゆる人間の欲望(マインド)は まさにこの物乞いの鉢だ。
人は、それを満たし続けるが、それは空っぽのままだ。
全世界を、いや、それを束にして投げ込んでも、それは音も立てずに、ただ消えてしまう。
人は 与え続け、それはいつも欲しがり続ける。

 愛を与えれば、その愛が消えてしまっても、物乞いの鉢は 相変わらずそこにある。

人生の すべてを与えても、物乞いの鉢は 相変わらずそこにあって、まるで何ひとつ貰わなかったというような非難の目でこちらを見ている。
相変わらず空っぽのままだ。

与えたという証拠は、唯一その鉢が いっぱいにになることしかない
が、それは決して いっぱいになることはない。
もちろん論理的帰結は明瞭だ。
何もやらなかったということだ。


 あなたたちは 実にたくさんのものを達成した。
それはすべてその物乞いの鉢の中に消えてしまった。

欲望(マインド)とは、自己破壊過程だ。

欲望(マインド)が消えないかぎり、人は いつまでも乞食のままだ。

何を獲得できても、それは、無益に終わる。
人は 満たされぬままだろう。


 だから、もしこの欲望(マインド)を解体したら、空虚によって、初めて人は満たされる。
もはや自分はいない、全体になったのだ。
自分がいる間は、いつまでも乞食だ。
いなくなれば、人は皇帝になる。


 インドで、乞食のことを「スワミ」と呼んで来たのはそのためだ。
「スワミ」とは、主人、帝王を意味する。
サニヤシン(雲水)のために これ以上の言葉は見つけられない。
新しいサニヤシンにどんな名前を付けるか考えていた時、私は、これよりいい言葉を見つけられなかった。
どうも「スワミ」が 一番いいようだ。

 「スワミ」とは、自分自身を完全に投げ出した人を意味する。
彼はもういない。
彼は 全世界になった。
あらゆるものの主人になったのだ。
そうでないかぎり、皇帝でさえも乞食のままだ。
欲望し続け、求め続け、苦しみ続ける。


 “もし粗いと細かいの区別をしなければ、
 偏見にも、意見にも、誘われることはない。”


…⑩に続く