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OSHO 「信心銘」第五章 ⑤

 
 想念には それなりの動きと推進力がある。
あまりにもたくさんの想念を持っている人の近くに寄れば、その人は必ず自分の想念でこちらを満たす。
ただ側にいるだけで、自分の思考(マインド)を相手に注ぎ続ける。
その人が話していようといまいと関係ない。
想念は、まるで火花のように、その人の頭からたえず まわり中に降り注いでいる。
人は それを浴びる。

 そして、時には、これは自分の考えではないと 気づくことさえある。
だが、いざそれが来て、それに満たされると、人はそれさえ自分だと思ってしまう。
それは あなたの怒りではない。
他の誰かが 腹を立てていて、あなたが自分の中に何かを感じたのだ。
誰かが、人を憎んでいて、その憎しみが あなたを打ったのだ。

あらゆるものが伝染する。
そして想念(マインド)は、この世で最も強力な伝染病だ。
どんな流感もその敵ではない。
まわり中の人々に伝染し続ける。

 見る目があれば、人の頭から降っている火花を見ることができる。
それは、ひとつひとつ、違った色を持っている。
だから、あれほど多くの神秘家がオーラの存在に気づいたのだ。

陰気な人は陰気なオーラを持って来る。
目が澄んでいれば、それを見ることができる。
幸福な人間がそばに近づけば、それが分かる。
たとえ、その人の姿がまだ見えなくても----背後からやって来ていて、こちらには見えていなくても----突然、自分の周囲で 何か嬉しいことが起こっているのを感ずる。

 想念とは自分のものではない。
それは 自分ではない。

人は死ぬ時、自分の想念を まわり中にばらまく。
それは実際に起こっている。

今度、人の死に際に居合わせることがあったら、気をつけて見ていてごらん。
それだけで、ちょっとした経験だ。
人が死んで行く時、ただそばに坐って、自分の心(マインド)に何が起こるかを見ているのだ。
驚くだろう。
それまでは決してなかった考え、自分にはなじみのない想念、それまで知らなかったような想念が 突如として自分の中に浮かび上がって来る。

 人が死ぬ時には、まるで枯れて行く一本の樹が種を散らすように、まわり中に自分の想念を放り出す。
樹は恐慌を起こしているのだ。
後から樹が生えて来るように、死ぬ前に種を蒔いておかなければならない。

自覚なしに、決して死んで行く人の側に近づいてはならない。
そういう時、死人は人に影響力を持つことになるからだ。

基本的には、自分で自覚しているのでない限り、憂鬱で悲しくなるような人の側には 決して近づいてはいけない。
こちらが自覚しているなら、何も問題はない。
憂鬱はやって来て、そのまま過ぎ去る。
決してそれを自分の気分だと思うことはない。

 教会に行って、感じたことはないだろうか。
人々が 祈りを捧げていて、突然、いつもと違う何かを感じる。
たくさんの人の祈り、さして真実なものでさえないただの日曜日のお祈りだが、それでもみんなは祈っている。
ほんの一瞬であれ、窓が開いている。
みんなは いつもと違う。
ある炎が人をとらえる。
突然 自分の中で何かが変わるのを感じる。

 気をつけていなさい。
その時、どんなふうに自分の心(マインド)に想念が入って来るのか、自分がどんなふうに、それと自己同化し、ひとつになるかを見ていなさい。
想念の動きは実に速い。
そのスピードは大変なものだ。
何しろ想念より速いものはない。
想念より速いものを作るのは不可能だ。
想念はどこに到達するにも時間がかからない。
それは 無限から無限にジャンプする。
想念にとっては空間は存在しない。


 ものすごい速さで動いている想念がある。
この非常な速さのために、二つの想念を見分けることはできない。

坐って、目を閉じて、肉体のあらゆるプロセスのスピードを落としてごらん。
ゆっくり呼吸し、心臓の鼓動を緩め、脈の速さを緩める。
すべての速度を落とし、寛ぐ。
すべてが速度を緩めれば、思考も速度を落とさなければならないからだ。
それは緻密な全体をなしている。
すべてが ゆっくりしている時には、思考もゆっくりせざるを得ない。

 深い睡眠の中で思考が止まるのはそのためだ。
すべてがゆっくりなのに、あまりにも速い思考に、ブレーキがかかって 思考過程が続かなくなるからだ。
その人が あまりにもゆっくりで、思考が速すぎるものだから、一緒になれなくなる。
思考は消える。

熟睡中 ほんの数時間、せいぜい真夜中の二時間位だが、思考は止まる。
人が完全に寛ぐからだ。

 寛いで ただ見ていなさい。
思考過程が、ゆっくりなるにつれて、そこに隙間を見ることができるようになる。

二つの思念の間に切れ目がある。
その切れ目の中に意識があるのだ。
二つの雲の間に切れ目がある。
その切れ目に青空があるのだ。

 思考過程の速度を落とし、その切れ目を見つめなさい。
雲の方より、その切れ目の方に注目するのだ。
注意の方向を変えなさい。
ゲシュタルトを変えるのだ。
形態を見ずに、その背景に目をやるのだ。

 私が ここに黒板を置くとする。
この壁くらいの黒板だ。
そしてそこに 白い点を打って、何が見えるかを訊く。
すると九十九パーセントの可能性としては、みんな黒板を見ずに その白い点を見るだろう。
私たちは、形を見て 背景を見ないからだ。

 こんなに大きな黒板だが、私が ここに何が見えるかと訊けば、あなた方は、白い点がひとつ見える、と言うだろう。

こんなに大きな黒板が見えないで、ほとんど見えないような小さな ひとつの点が見える。
どうしてだろう。
つまり、これが思考作用(マインド)の決まったパターンだからだ。
形を見て その背景を見ない。
雲を見て 空を見ない。
想念を見て 意識を見ないのだ。

 このゲシュタルトを変えなければならない。
背景の方に もっと注意を払って、形の方への注意を少なくしなさい。
もっと実在に近づくことになる。
瞑想の中では、これがたえずなされねばならない。
思考(マインド)は 昔からの癖で、すぐに形を見ようとする。
気がついたら戻せばいい。
背景の方に目をやるのだ。

…⑥に続く