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OSHO 「信心銘」第五章 ②

(…どうやって変えたらいいのだろうか。)

 あなた方が見れば、一目見て、まわりの世界を変えなければ、と思う。
まわりを見渡せば、あまりにも明らかだからだ。
変えなくては。
それがあなたが何回もの生涯にわたってやってきていることだ。
たえず、世界を、あれやこれやを変えてきている。
家を、肉体を、妻を、夫を、友達を変えてきている、変え続けている。

だが決して 自分が同じままだという事実を見ない。
そのあなたが、どうして世界を変えることができよう。

 かくして世界中 至るところに、世捨てという誤った伝統が現れた。
家から逃れて僧院へ行く、市場(まち)から逃れて、ヒマラヤへ行く。
世間から逃げる。
ヒマラヤなら簡単に行けるが、この自分自身からどうやって逃げられよう。
そこでもまた同じ世界を、まったく同じ世界を創るだろう。
ミニチュアの世界かも知れない、あまり広大ではないかも知れない。
だが、あなたは同じことをするだろう。
自分が同じなのだ。
同じ人間に どうして他のことができるかね。

 少し洞察すれば、思考(マインド)を変えれば 世界が変わるのだということが、分かる。
そうなれば、どこにいようと 別の世界が顕れるわけだ。

もう少し深く進めば、もし本当にまわりの世間の外にいたいと思うなら、思考(マインド)を落とさなければならない ということが分かるはずだ。
いかに美しい世界であっても、遅かれ早かれ、人は退屈し、飽き飽きすることになるのだから。

 たとえ天国にいても、人は地獄に憧れ始める。
思考(マインド)は 変化を必要とするからだ。
それは、不変のものの中では生きられない、変化のない所では生きられないのだ。
思考(マインド)は何か新しい珍しさ、何か新しい感動、新しい興奮をほしがるからだ。
思考(マインド)にとって時間を止め、無時間の中に止まることは不可能だ。

 思考(マインド)が 今、ここに、住むことができないのはそのためだ。
今は、時間の一部ではないからだ。
今は 決して変化しない、今は永遠だ。
それを 無変化とは言えない。
今は 永久不変とは違う。
それは 永遠だ。
それはただ あるがままにある。
そこでは 何も起こらない。
それは 空だ。

 仏陀は それをシュニャータ---絶対空---と呼んだ。
そこでは何も起こらない。
誰もやって来ない。
誰も往かない。
そこには誰もいない。
誰かがいれば、必ず何かかにかが起こる。
思考(マインド)は、この永遠の今には生きられない。
思考(マインド)は、変化を求める。
そして希望し続ける。
まったく希望がないのに、希望し続ける。
状況にすべて望みがないのに、それでも思考(マインド)は 希望し続ける。

…③に続く

「信心銘」by OSHO,
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所)(財) 禅文化研究所