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OSHO 「アティーシャの 知恵の書」第3章 最初の質問-(2)

…略
 あなたは 子どもを破壊することができる。
それでも、その子供はインドの総理大臣になることができる。
知性なしで成功者になるのが、生まれつき無理だということはない。
実際、知性をもって成功者になる方が もっと困難だ。
知性的な人は 創意力があるからだ。
彼は常に時代に先んじている。
彼を理解するには時間を要する。

 知性のない人を理解するのは簡単だ。
彼は 社会の様相に合っている。
社会には 彼を判断する価値基準がある。
しかし社会は、一人の天才を評価するには 長い時間がかかる。

 私は、知性を持たない人は成功できない、有名になれない、とは言っていない。
しかし、そうなれたとしても 彼は偽者のままだ。
それは不幸だ。
あなたは 有名になることはできる。
しかし、もしあなたが偽者であるなら、あなたは 不幸の中に生きている。
あなたは、どんなに祝福に満ちた生が自分に注がれているのかを知らない。
決して知ることはない。
知るための 充分な知性がない。
あなたは存在の美しさを 見ることは決してない。
それを知るための感受性がないからだ。
あなたは自分の周りにある 全くの奇跡を見ることは決してないーーー毎日、数え切れない方法で あなたの前を横切っている奇跡を、決して見ることはない。
それを見るには、理解するための、感じるための、存在するための途方もない能力が必要だからだ。

 この社会は 権力指向の社会だ。
この社会は 全く原始的だ。
どうしようもなく野蛮人だ。
少数の人々ーーー政治家、聖職者たちが、多くの人々を支配している。
そして この社会は、子供に 知性を持たせないような方法で営まれている。
たまに覚者(ブッダ)が この地上に現れるということは、全くの偶然だーーー完全に偶発的な出来事だ。

 稀に、何とかして社会の支配から 逃げる人がいる。
稀に、社会に毒されないままでいることがある。
それは社会が何かを誤り、失敗したためだ。
そうでなければ、社会は あなたの根を破壊すること、自分自身への信頼を破壊することを 上手くやり遂げてしまう。
そうすると、あなたは決して 誰も信頼できなくなる。

 自分自身を 愛する能力がなくなってしまえば、誰をも 愛することはできなくなる。
それは 絶対的な真実だ。
それに例外はない。

自分自身を愛することができてこそ、他人を愛せるのだ。

 しかし社会は 自己愛を非難する。
それは利己的だ、自己陶酔だと言う。
確かに 自己愛は自己陶酔になり得るが、そうなる必要はない。
もしそれ自身を 超えて行かなかったら、自己陶酔の状態になる。
もしそれが、あなたを自分自身の殻に閉じこめてしまうなら、わがままの一種になる。
でなければ、自己愛は すべての人たちを愛することの始まりだ。

 自分自身を愛する人は、いずれ愛に満ちあふれ始める。
自分自身を信頼する人は、誰も疑うことがない。
彼を騙そうとしている人々や、すでに 彼を騙した人々に対してでもだ。
そう、彼は そういう人々を疑うことすらできない。
今、彼は 信頼が他のものより はるかにもっと大切であると、知っているからだ。

 あなたは人を 騙すことができるーーーしかし、彼の 何を騙せるだろう?
あなたは彼から いくらかの お金や 他の物を取ることはできる。
しかし 信頼の美しさを知っている人間は、こんな小さな事で 取り乱したりはしない。
彼は それでも あなたを信頼する。

 すると奇跡が起こる。
もしその人が あなたを真に信頼するなら、彼を騙すことはできない。
ほとんど 不可能だ。

 それは、あなたの人生でも 毎日起こっている。
あなたが誰かを信頼する時はいつでも、その人が あなたを騙したり 欺いたりできなくなる。
あなたは 駅のプラットホームに座っているとする。
自分の 横にいる人は 知らない他人だ。
全くの他人だ。
あなたは その人に言う。「ちょっと私の荷物を見ていてくれますか。切符を買いに行かなければならないので、お願いします。
ちょっとその荷物に気をつけていてください」。
そして あなたは行く。
あなたは 絶対的に その人を信頼している。
すると その人は、あなたを欺くことは ほとんどない。
もしあなたが 彼を信頼していなかったら、彼は欺くことが できただろう。

 信頼は その内に魔法を持っている。
あなたが彼を 信頼しているなら、彼は どうやってあなたを欺くことができようか?
どうして そんなに低く落ちることができる?
もし あなたを欺いたなら、彼は 自分自身を許せないだろう。

 人間の意識の中には、信頼することと 信頼されることという質が、もともと備わっている。

(3)…に 続く……。