OSHO 「アティーシャの 知恵の書」第3章 最初の質問-(1)

P. 90
最初の質問
「愛する OSHO, なぜ私は あなたを信頼できないのでしょう?」

 プレム-プラギータ、信頼が可能であるには、まずあなたが自分自身を信頼することだ。
初めに最も基本的なことが、あなたの内側で起こらなければならない。
もし自分自身を信頼するなら、あなたは私を信頼できるし、人々を信頼できる。
存在を信頼できる。
しかし、自分自身を信頼できないなら、他人を信頼することなどできない。

 そして信頼の根そのものを破壊している。
社会は あなたに、自分自身を信頼させない。
社会は、他の信頼は すべて教えるーーー両親を信頼すること、教会を信頼すること、国を信頼すること、神を信頼することなど、きりがない。
しかし、基本的な信頼が 完全に破壊されている。
それだと 他のものを信頼することは、すべて偽りとなる。
偽りであって当然だ。
他のものを信頼することは、すべて 単なるプラスチックの花にすぎない。
あなたには、本物の花が成長するための 本物の根がない。

 社会は それを故意に、意図的に行う。
なぜなら 社会にとってーーー従属に依存し、従属に とても多く投資している社会にとって、自分自身を信頼している人間は 危険だからだ。

 自分自身を信頼している人間は、自立した人間だ。
彼について予知することはできない。
彼は 独自のやり方で行動するだろう。
自由が 彼の生だ。
彼は 自分が感じる時を、自分が愛する時を信頼する。
その時、彼の信頼は 非常に強烈で、その中に真理を持つ。
その時 彼の信頼は、活き活きとしていて本物だ。
そして彼は、自分のすべての信頼に対して危険を冒す用意がある。
しかしそれは、彼が それを感じるだけであり、それが真実である時だけだ。
彼のハートをゆり動かし、彼の知性と愛をゆり動かす時だけであり、そうでなければ だめだ。
どんな種類の信仰も、彼に 押し付けることはできない。


 この社会は 信じることに頼っている。
その機構全体は 自動催眠だ。
その機構全体は、人間ではなく ロボットと機械を創ることに基づいている。
社会は依存する人々を必要とするーーーそのために支配者を絶えず必要とする。
自分たちの支配者、自分たちのアドルフ-ヒトラー、自分たちのムッソリーニ、自分たちのジョセフ-スターリン、そして毛沢東を探し求めている。

 この地球、この美しい地球を、私たちは 巨大な牢獄に変えてしまった。
少数の権力にとりつかれた者たちが、人類全体を烏合の衆へと格下げてしまった。
人間は、あらゆる種類のナンセンスと妥協しなければ、存在することが許されていない。

 さて、子供に 神を信じろと言うことは ナンセンスだ。
全く ナンセンスだ。
それは神は存在しない ということではなく、子供は まだその渇きを、欲望を、あこがれを感じていないからだ。
彼は 生の 究極の真実を探求するには、まだ準備ができていない。
その恋愛関係は いつか起こるべきだ。
しかしそれは、信仰が彼に押し付けられなければ起こりえる、もし、探求や 未知への渇きが生じる以前に改宗させられたら、自分の全人生を ごまかして生きるだろう。
偽りの方法で生きるだろう。

 たしかに彼は 神について語るだろう。
というのも彼は、神は存在する、と教えられてきたからだ。
厳然と そう教えられて。
子供時代に 非常に権力的であった人々ーーー両親、司祭、牧師たちーーーから そう教えられてきた。
そして彼は、受け入れざるを得なかった。
彼にとっては死活問題だった。
彼は両親に ノーと言えなかった。
両親なしで生きることなど、不可能だったからだ。
ノーと言うことは とても危険だった。
イエスと 言わざるを得なかった。
しかし彼のイエスは 真実ではあり得ない。

 真実であることなどできるのだろうか?
彼は 生き延びるために、ただ政治家が策略を用いるようにイエスと言っている。
あなた方は、彼を宗教的な人間に変えたわけではない。
彼を 一人の外交官に、一人の政治家にしてしまっている。
あなた方は、彼の潜在能力が真正な存在へと 成長することを妨害している。
彼を毒している。
彼の 知性の可能性そのものを破壊している。
というのも、知性は ただ知ろうとする熱望が生じる時にだけ、表れるからだ。

 今は、もはや熱望は決して生じないだろう。
というのも、疑問が彼の魂を捕らえてしまう前に、答えが すでに供給されているからだ。
空腹を感じる前に、食べ物が 彼の存在の中へ無理に詰め込まれている。
だが空腹を感じていないため、この強制された食べ物は消化できない。
それを消化するための空腹感が存在しない。
それが 人々が生を、未消化の食べ物を 通過させるパイプのように生きる理由だ。

 人は 子供に対して、非常に 忍耐強くあるべきだ。
独自の知性を達成する妨げになるようなことを、言わないように。
キリスト教ヒンドゥー教、あるいはイスラム教へと改宗させないように、非常に油断なく、非常に 意識的でなければならない。
人には果てしない忍耐が必要だ。

 子供自身が 質問をぶつけ始める時は、奇跡の起こる日だ。
その時もまた、既成の答えを供給してはいけない。
既成の答えは誰の役にも立たない。
既成の答えは愚純で間抜けたものだ。
彼が もっと知性的になるように助けなさい。
答えを与えるより、彼の知性を鋭くして もっと深い質問をするような、質問が 彼の核心そのものを貫くような、質問が 生と死の問題になるような状況と機会を与えなさい。


 しかしそれは許されていない。
両親は非常に恐れている。
社会は非常に恐れている。
もし子供たちが自由なままでいたら、誰にわかるだろう?
彼らは 両親が属していた羊の群れには 決して来ないかもしれない。
教会には決して行かないかもしれない。
カトリックプロテスタント、そして あれやこれや……、
彼らが 自らの力で 知性を持つようになる時、何が起ころうとしているのか、誰にわかるだろう?
彼らは あなたの支配下にはいない。
そこで この社会は あらゆる人々を支配するために、あらゆる人々の魂を所有するために、ますます ずる賢くなってゆく。

 だから 彼らが最初にすることは、信頼を壊すことなのだーーーその人の 内なる子供の信頼を、内なる子供の自信を壊すことだ。
彼らは その人を震え上がらせ、恐がらせなければならない。
いったん彼が 震え上がったら、その人を 支配することは可能だ。
もし彼に 自信があるなら、支配することは無理だ。
もし彼が 自信に満ちているなら、自分の 権利を主張するだろう。
彼は 自分の事を しようとするだろう。
彼は、誰か他の人に関する事は決してしたくないだろう。
彼は 独自の旅を続ける。
彼は 誰か他の人の個人的トリップの願望を、実現させようとはしない。
彼は 決して物真似人間ではない。
決して鈍くて死んだ人間ではない。
誰も 彼を支配できないほど、彼は 生き生きとしている。
生に打ち震えている。

 彼の信頼を破壊しようとしてごらん。
それは 彼を骨抜きにすることになる。
彼の 力を奪い取ってしまう。
今や 彼は常に無力であり、いつも 自分を支配し、指導し、命令する誰かを必要とする。
いまや彼は 善良な軍人であり、善良な市民であり、善良な国家主義者であり、善良なキリスト教徒、善良なイスラム教徒、善良なヒンドゥー教徒だ。
そう、彼は これらすべてだ。
しかし彼は 真の個人ではない。
彼は どんな根も持たない。
彼は 自分の生全体を 根こそぎにされている。
彼は 根無しで生きるーーー

そして根無しで生きることは 不幸の中に生きること、地獄の中に生きることだ。
ちょうど 木々が大地に根を必要としているように、人もまた木であり、存在の中に根を必要とする。
でなければ、彼は非常に 知性の欠けた生を生きるだろう。
彼は 世界で成功するかもしれないし、非常に有名になるかもしれないが……。
ちょうど先日、私は ある物語を読んでいた。

 (2)に 続く…