OSHO 講話録「アティーシャの 知恵の書」①

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第1章 三倍偉大なアティーシャより抜粋…

(略)「修行の合間は、現象を幻とみなすこと」

 さて、アティーシャは弟子への意識が とても高い。
彼は、存在の中に落ち着く というこれらの体験は、最初は瞬間的なものでしかないことを知っている。
ある瞬間は、あなたは 自己の存在にくつろいでいる自分を発見する。
しかし、次の瞬間は それは去ってしまう。
最初は 当然そうなる。
ある時は あなたに未知なるもの、神秘的なものが あふれている。
別の瞬間、それは もう存在しない。

 ある瞬間は、すべてが芳香に満ちている。
が、次の瞬間あなたは それを探している。
それを見つけられない。
それは どこかへ行ってしまった。

 最初のうちは 一瞥しか起こらない。
ゆっくりゆっくり、徐々に揺るぎないものになってゆく。
それは、もっともっと持続するようになる。
ゆっくりゆっくりと、実にゆっくりと、非常にゆっくりと、それは 永遠に落ち着くようになる。
それまでは、それを当然のこととして受け取ることは許されない。
それは 思い違いとなる。
だから彼は言う。

「修行の合間はーーー」

 あなたが瞑想している時、瞑想して坐っている時、これが起こる。
しかし、それは去ってしまう。
では修行の合間は どうしたらいいのか?

「修行の合間は、現象を幻とみなすこと」

 修行の合間は技法を使い続けなさい。
あなたが深い瞑想状態にある時は、その技法を落としなさい。
覚醒が ますます純粋になっていき、突如として それが完全に純粋になるような瞬間がやって来る。
その時に 技法を落としなさい。
技法を捨てなさい。
すべての療法を 一切忘れなさい。
ただ落ち着いて、在りなさい。

 しかし、最初は ほんの一瞬しか起こらない。
時々 ここで、あなたが私の話を聞いている時に、それが起こる。
ほんの一瞬、そよ風のように、あなたは 別世界へと、無心の世界へと運ばれる。
ほんの一瞬だがあなたは、自分は知っている、とわかる。
しかし、ほんの一瞬だ。
そして再び暗闇が戻り、マインドは、そのすべての夢、すべて欲望を携えて、すべての馬鹿げたことを携えて戻ってくる。

 一瞬の間、雲は散り、あなたは太陽を見た。
そしてまた、雲が出てくる。
太陽は 見えなくなって、あたり一面は暗くなる。
そうなっては、太陽が存在しているなどとは、とうてい信じられない。
少し前に体験したことが 真実であったなどとは、信じがたくなる。
それは幻覚であったかもしれない。
それはただの想像にすぎない、とマインドは言うかもしれない。

 まったく信じがたいことだ、それが自分にも起こり得るとは、奇跡としか思えないーーーこれらのくだらない考えが マインドにありながらも、暗闇と雲だらけでありながらも、それは あなたに起こった。
あなたは、ほんの束の間だが太陽を見た。
そんなことが起ころうとは思えない。
きっと それは想像だったにちがいない。
自分は眠り込んで 夢を見ていたのだろう、とマインドは思うかもしれない。

 次の修行が始まるまでの間は、舟の中にいなさい。
再び舟を使いなさい。

「現象を幻とみなすことーーー」

 アティーシャは、弟子に対して非常に思いやりがある。
そうでなかったら、四番目の経文が最後のものになっていただろう。
あるいは、あっても五番目までだったろう。

「基本的認識の自然な状態、その本質に落ち着くこと」

 もしアティーシャが ボーディダルマのような男だったら、この説明は五番目、あるいは四番目の経文で終わっていただろう。

「療法そのものでさえ、独力で自由にさせなさい」

 そして安定は ひとりでに起こる。
(略)
アティーシャは 弟子に対して非常に思いやりがある。
彼自身が弟子だったので、弟子の困難がわかっていたのだ。
彼は三人の偉大な師たちの弟子だったので、弟子が直面しなければならない すべての困難を知っていた。
彼は巡礼者だった。
彼は すべての問題を知っていた。
そしてアティーシャは 三つの道を、到達可能な三つの道を、すべて歩んだ巡礼者だった。
だから彼は、弟子の道で 必ず現れるあらゆる問題、あらゆる困難、あらゆる落とし穴、あらゆる障害を知っていた。

 そのため 彼には思いやりがある。
彼は言うーーー。

「修行の合間はーーー」

瞑想状態にある合間は、至福、空、そして純粋な瞬間にある合間は、「在る」瞬間の合間は、そのすべては夢であることを、あらゆる現象は幻であることを覚えておきなさい。
永続する安定が起こるまで、この技法を使い続けなさい。

(②に 続く…)

PP. 35-38
[アティーシャの知恵の書] 上
翻訳- スワミ.ボーディ.デヴァヤナ(宮川義弘)