saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「Intuition」はしごの三本の横木 ⑤ OSHO

(…彼はそんな状況が起こらないように、最大限のことをしようとしたのだ。)

彼は 弟子の僧たちに、歩くときは4フィート先だけをみて歩きなさい、そうすれば道路や その他の場所にいる女性の顔は見えないから。
見えたとしても せいぜい女性の足ぐらいのものだ。

彼は 弟子の僧たちに言った。
「女性に触れてはならない、女性に話しかけてはいけない」

弟子のひとりが 頑固なやつだった。
彼は こう言った。
「たとえばですね。
女性が道路で倒れて、病気だったり、死にそうだったようなときでも、彼女に話しかけてはいけないのですか?
彼女がどこに行きたいのかも聞いてはいけないのでしょうか?
そのような場合、彼女に触ったり、彼女を家に送ったりしてはいけないのでしょうか?」

 仏陀は言った。
「そのように めったに起こらない場合は、よろしい、あなたは彼女に触っても、彼女に話しかけてもよいーーしかし、彼女が女性であるということは しっかり認識していなければならない」

 彼が「しっかり認識せよ」と強調していることは 女性に対してではない。
あなたの無意識に対して言っているのだ。
もしあなたが、はっきり気付いていれば、無意識が浸透して あなたの意識的なマインドを打ち負かしてしまうということは起こらないだろう。

 すべての宗教が 女性に反対してきているーーかれらが女性を憎んでいるわけではない、そうではない、彼らはただ、僧侶や聖職者や、法王を守ろうとしているのだ。
もちろん、私は 彼らの方法論には同意できない、なぜならば、それは守る方法ではないからだ。
実際のところ、そうすることによって、あなた方は もっと興奮しやすくなる。

女性に触ったこともなければ、女性に話しかけたこともない、そして、女性について何も知らない僧侶は、女性と一緒に暮らしたり、女性と話したことがあり、女性といても 平常心でいられる僧侶より、一層 彼の本能に 支配されやすい。

 僧侶や、尼僧たちの方が、もっと本能に支配されやすい。
もし、あなたが 本能を完全に満足感から 切り離そうとすれば、本能は 非常にパワフルになってーーほとんどドラッグなみにーーあなたを酔わせて、あなたに 幻覚を起こさせる。

Pp. 38-39
「Intuition」OSHO

訳者/山川紘矢+山川亜希子

発行/株式会社KADOKAWA

「Intuition」はしごの三本の横木 ④ OSHO

P. 36~
(…我々は知性に教え込み、あなたの記憶の力を増加する方法を発見したのだった。)

すべての学校、高校、大学ーー世界中の全教育制度がしていることは たったひとつだ。
それは あなたの知性を研ぎ澄ますこと。
しかし、ここに問題が生じた。
教育者が 予想したこともなかったことだ。
あなたの知性が 少しばかり強力になると、それは あなたの本能に 介入し始めたのだ。
競争が起こった。
権力闘争が始まったのだ。

 知性は 権力を支配しようとした。
そして、それは倫理を 自分の側に持っているーー理由、議論、無数の論拠だーー知性は、あなたの意識マインドに関する限りーーあなたに 本能は何か悪いものだと うまく信じ込ませたのだった。
だからそれこそが、すべての宗教が 本能を悪いものだと批判してきたのだ。

 それらは ただの知的なゲームだーー本能は あなたの無意識的なマインドの一部であり、知性は あなたの意識的なマインドの一部なのだ。
しかし、問題は 意識的なマインドは 無意識的マインドの 10分の1しかないということだ。

意識的マインドは 氷山みたいなものだ。
10分の1しか水面上に姿を現していない。
9倍のものが 水面下に隠れている。
あなたの意識的マインドは たったの10分の1だ、しかし、それは現れている。
あなたは それについては知っている。
あなたは 無意識的マインドについては 何も知らない。

 意識的マインドは 学校において教えられている。
短期大学、4年制大学、教会、シナゴーグでーーあらゆる場所でだ。
そして、そこでは あなたの 意識的マインドに本能は良くないものだという思想を吹き込む。
これは醜悪な現象だ。
彼らはあなたを 反自然的、反自分にする。

 しかし、無意識マインドは いつも沈黙している。
それは あなたの 意識的マインドのことなど何も心配しない。

あなたの 意識的マインドが決めたことなど、無意識的マインドは いつでも投げ捨てることができるからだ。
なぜならば、それは9倍も 力を持っているからだ。
それは あなたの理論などかまやしない。
あなたの理由、あるいは何であれ、かまやしないのだ。


 ゴータマ・仏陀でさえ、彼のコミューンに女性を入れなかったのも理由がないわけではなかった。

彼は 女性がいない、純粋に男性だけのコミューンを作りたかったのだ。

私は 彼の方針に反対ではない、しかし、その理由が何であったかを理解しているのだ。
彼の理由は 考察されなければならない。
彼は もし女性が そこにいたら、男性の無意識的なマインドを どうしたらよいか、ということに気づいていたのだ。

それは心理学の問題で、宗教の問題ではない。

 フロイト、あるいは ユングアドラーなどは ゴータマ・仏陀と比べたら、小人のようなものだ。

女性を拒絶することは 非人間的のように見えるが、もし、あなたが 仏陀の眼識がわかれば、驚くだろう。
仏陀には 確固たる根拠があったのだ。
その根拠とは 女性ではない。
彼は 本当のところは 女性を除外しろとは言っていなかった。

彼が言っていたのは こうだ。
「あなた方は あなた方の無意識には勝つことができない、と 私にはわかっている」現実には、それは女性を非難しているわけではない、弟子たちを非難しているのだ、彼は こう言っているのだ、もし女性を 仲間に入れたら、お前たちの無意識が お前たちを打ち負かしてしまうような状況が生まれてしまうだろう。

 彼は そんな状況が起こらないように、最大限のことをしようとしたのだ。


Pp. 36-38
「Intuition」OSHO

訳者/山川紘矢+山川亜希子

発行/株式会社KADOKAWA

「Intuition」はしごの三本の横木 ③ OSHO

P. 34~
(…しかし、世界中で すべての子供たちが かくれんぼをのゲームをしている。)

誰かが 教えたわけではない、どうして、このゲームが一般的なものになったのだろうか?

それは子供たちの中に備わっている 自然的な性質から発しているのだろうーーあるものたちは どうしても何か挑戦するものを探し、見つけたいという衝動に駆られるのだ。

 これらのことは自然におこることだーー誰も自分できめるわけではない。
それらはあなたの 生物学的な性質の一部だ。
しかし、自然は とても賢い。
あなたに 愛という妄想を与えるのだ。
そうでなかったら、単に 命を継続させるための再生産という目的だけのためなら、あなたは これらの運動、カーマスートラが描く84手の性技法を やってみようとはしないだろうーーそれらはあまりに奇妙で、変てこりんで、馬鹿げている。
もし、愛を取り去ったら、裸のセックスは 全くもって動物的だ。

それは人間が ずっと抱えてきた問題の一つだ。
そして 今でも問題だ。
私にできることは 将来、もっとそれを解明し理解することだ。

 男は求め続け、説得し、ラブレターを書き続ける、また贈りものを贈ったり、自分のできることは 何でもする、しかし、いったん、セックスに満足してしまうと、彼は 興味を失い始める。
さて、これは彼が 知っていてしていることではない。
彼は 人を傷つけたくはない、彼が愛した相手を傷つけたくはないのだ。
しかし、これが生物学のあり方なのだ。

ロマンスや 愛のすべては 自然が性的な部分を隠そうとしている煙幕にすぎない、性そのものは見苦しいものだ、だから、自然は それに美しいカバーを与えているのだ。

 しかし、あなたが この自然の営みを やり遂げてしまうと、煙幕が全部消えてしまう。

 本能は セックスだけしか知らない。
愛は 苦い錠剤を 飲み込みやすくする糖衣にすぎない。
薬を 口の中に長く保ってはいけない、それでないと あなたは飲み込むことができなくなるだろう。
すぐに薄い砂糖の膜は無くなって、あなたは その苦い錠剤を吐き出さなくてはならなくなる。

 というわけで、恋人たちは セックスすることを急ぎまくるわけだ。
どうしてそんなに急ぐの?
どうして待てないの?
砂糖は薄いから、遅れたら、砂糖が溶けてしまい、それは苦くなってしまう。
本当に 苦いものだ。

 本能は あなたを人間的にしてはくれない、それはあなたを 動物のままにするーー日本足であるけど、あなたは動物でもあるのだ。


 二番目の横木である、知性は あなたに生物や化学や 動物の性質より高いものを与える。
知性も 本能と同じように、生まれつきのものだ。

 あなたの知的な能力を 増やす方法はない。
できることと言ったら、あなたの知的能力を 活性化することしかない、そうすると、あなたの知性が 成長したように見えるだろう。
実際のところは 最も知性的な人間でも 彼の可能性の たった15パーセントしか使っていない。

ふつう、一般の人間は たったの6から7パーセントしか使わない。

アルバートアインシュタインや、バートランドラッセルでさえ、知力の85パーセントは 使われないままだ。
もし、その85パーセントが使われれば、それはものすごい成長となるだろう。

あなたは自分が 知的にすごく成長したと思うだろうが、あなたは単に あなたがすでに持っていたものを とりもどしただけ、あるいは、開発しただけのことなのだ。

 我々は 知性に教え込み、あなたの記憶の力を増加する方法を発見したのだった。


Pp. 34-36

「Intuition」OSHO

訳者/山川紘矢+山川亜希子

発行/株式会社KADOKAWA

…「Intuition」はしごの三本の横木 ② OSHO

P. 32~
(…人間の生の90パーセントは まだ動物の世界だ。我々は本能によって生きている。)

 あなたは 女性と恋に落ちる、あるいは ある女性が あなたと恋に落ちる、そして、あなたは それは何か偉大なことだと考える。

それは何も偉大なことではない、それは単に 本能的な のぼせあがりにすぎない。
それはホルモンが 反対のホルモンに引き寄せられているだけなのだ。

あなた方は 自然の手の中の遊び道具に他ならない。
どんな動物も 愛の精妙さや 愛の不思議な魅力などにかまっちゃいない、しかし、人間は ただ本能的であるということは侮辱的で、屈辱だと感じるのだ。
あなたの愛が 単なる生化学の反応だって?
あなたの愛は詩だ、あなたの愛は芸術だ、あなたの愛は哲学だーーそれが生化学にすぎないのだと?
あなたは あなたの生態、あなたの化学、あなたの自然を 恥じているようにみえる。

 しかし、これは理解するというやり方ではない。
あなたは 何が何なのかを 正確に理解しなければならない。
区別は明確でなければならない、さもなければ、あなたは いつも混乱したままにとどまるだろう。

あなたのエゴは 一番低い層にあるものでさえ、できるだけ高いものに投影し続けようとするだろう。

 あなたの愛は 単にあなたの化学がつくりあげた幻想にちがいないのだ。
考えてもみなさい、もし、ロマンチックな愛という考えを取り払ったとしたら、どんな男も女も セックスとその馬鹿さ加減に耐えることなんかできないだろう。
それは まったく馬鹿げて見えるだろう。

ロマンチックな考え方を取り去って、生物と化学の素直な言葉で考えてみなさい、そうすれば、あなたは自分のセックスが恥ずかしいことだろう。
そこには自慢できるようなものは何もない。

あなたが 何のロマンスもなく、何の詩もなく、オマル・ハイヤーム(ペルシャの詩人)もなく、シェリー(英国の叙情詩人)もなく、バイロンもなく、男性と あるいは女性とセックスをしているところを想像してごらんーー 単なる 再生産のプロセスとして。
なぜならば、自然は あなたを通して生殖し子孫を残したい、自然は あなたが やがて死んでしまうと知っているからだ。
あなたは永遠ではない。だからあなたが死ぬ前に、自然は生を継続させたい。
しかし、人間は 何かセックスにロマンチックなところがないと、セックスすることができない。
そこで人間は セックスの周りに偉大な煙幕を創造した、人は それを愛と呼ぶ。
人は そのふりをし、それが愛であると信じさえするーーしかし、もっと注意深く 観察してみなさい。

 あなたは 男性や女性に興味を持っている。
女性の自然の本能は かくれんぼをすることだ。

世界中の すべての文化の中に、小さな子供たちが 必ず行う二つの遊びがあるのは不思議だ。
彼らの宗教は違う、彼らの文化も違う、彼らの人種も違う、彼らの社会も、彼らの言語も違うーーすべて違っているーーしかし、この二つのゲームに関しては、彼らがアフリカに生まれようと、中国、アメリカ、インドに生まれようと、違いがない。

 その一つのゲームが かくれんぼだ。
世界中の文化の中で、子供たちが かくれんぼで遊んだことがない文化はない、ということは不思議である。

それは 何か本能に関係しているように思われる、まるで、もっと大がかりな かくれんぼのために準備しているかのようだ。
子供のかくれんぼは リハーサルにすぎない、彼らは一生、そのゲームを やり続けるのだ。

 女性は いつも隠れようとする、そして男は たくましくて探す方だ。
男が探すのは 一種の挑戦だ、女が 隠れれば隠れるほど、男は もっと元気を出して興奮する。

 しかし、世界中で すべての子供たちが かくれんぼのゲームをしている。


Pp. 32-34
「Intuition」OSHO

訳者/山川紘矢+山川亜希子

発行/株式会社KADOKAWA

…「Intuition」はしごの三本の横木 ① OSHO

P. 30~

  はしごの 三本の横木

 直観は はしごの一番高い横木で、それは 意識のはしごだ。

意識のはしごは 三つの部分に分かれている。
最も下にある第一段が 本能だ、第二段目、真ん中が 知性、そして三番目、最も高い段が 直観だ。

 本能は instinct. 知性は intellect. 直観が intuition で、これら三つの言葉には すべて in が使われている。
それは重要なことだ。
それは これらは生まれながら (inborn) の資質だということを意味している。
あなたは これらを学ぶことはできない。
外部の助けを借りて発達させる方法はない。

 本能は 動物の世界だーーすべてが本能だ。
時には 他のものではないか という指標が見つかるが、それは あなたが投影したものだ。

たとえば、あなたは 動物に愛を見ることができるがーー母親が 子供を愛情深く、面倒を見ている様子からーーあなたは これは本能ではなく、もっと高いものだ、生物的なものではないと思うことができる。
しかし、それは より高いものではなく、単に生物的なものにすぎない。

母親は 自然の手の中で ロボットのようにそうしているだけなのだ。
彼女は どうしようもないのだーー彼女は そうせざるを得ないのだ。

 多くの動物においては 父親は本能的な父親らしさをもっていない。
反対に 多くの父親は 自分の子供を殺して食べてしまう。
たとえば、ワニの場合は 子供の命は非常に危険にさらされている。
母親は保護的で、子供の命を守るために 闘う、しかし父親は おいしい朝食にありつこうとする!

父親父親らしくふるまおうという本能が全然ない。
事実、父親というのは 人間的な慣行なのだ。
ワニの母親は 子供を父親から守るために 自分の口の中に隠さなければならない。
彼女には 大きな口があるーー女性は みんな大口、おしゃべりだーー彼女は ほとんど1ダースの子供を 口の中に隠すことができる。
母親の 口の中で、あの危険な歯のそばで、子供たちは完全に安全だ。

子供たちにとってもっとむずかしいことは、どっちが母親で、どっちが父親か見分けることだ、なぜならば、両者はとても似ているからだ。
そのため、子供たちは、時々 父親に近寄ってしまい、彼の 口の中に隠れようとする。
それで 永遠にお陀仏だ。
彼らは 二度とオテントウ様を見ることはない。

 しかし、母親は闘って子供を守ろうとする。
おそらく、自然が ワニに あんなにも沢山の子供を授けたのは そのためだろう。
母親は 1回に12匹も育てる、それも毎年のことだ。
もし、彼女が そのうちの2匹をなんとか守ることができれば、ワニの人口は同じ数を保つことができる、しかし、彼女は 子供のほとんど半数を守り抜くのだ。

 これを見ている誰もが、父親は なんと残酷なんだ、何の憐れみもなく、何の愛も ないではないか、それに引き換え、母親は なんと母親らしい行動をするのだろう、と感じるだろう。

しかし、あなたは あなたの考えを 投影しているだけなのだ。

母親が守っているのは 意識的な理由があってのことではない。
彼女の ホルモンが守っているのだ。
父親には これらのホルモンがない。
もし、彼に ホルモンが注射されたら、彼は 自分の子供を殺しはしないだろう。

だから、これは化学の問題だ、心理的なものではない。

生化学以上の何物でもない。


 人間の 生の90パーセントは まだ動物の世界だ。
我々は 本能によって生きている。


Pp. 30-32
「Intuition」OSHO

訳者/山川紘矢+山川亜希子

発行/株式会社KADOKAWA

…「Intuition」OSHO ⑤

P. 28~
(…あなたの本能的な生を罪の意識を感じないで、完全に喜びをもって受け入れれば、それは直観のドアを開くのを助けてくれるだろうーーなぜならそれは違うものではなく、活動のレベルが違うだけだからだ。)

そして、本能が何の音も発せず、美しく、静かに機能するように、直観も同じように働くーーそして、もっと静かに、もっと ずっと美しく。

 知性は 妨害者だ。
しかし、それを妨害者とするか、それを踏み石として利用するかは 我々次第だ。
あなたが 通りで石に出会ったら、あなたは それを邪魔ものにするか、より高い面に上がる 踏み石に使うかだ。

本当に理解しているものは 知恵を踏み石として使う。
しかし、大衆は「あなたの知性を 本能を抑える力として使え」という宗教の教えにコントロールされている。
人々は 本能と闘い、直観についてのすべてを忘れる。
彼らの全エネルギーを 自分自身の生命力と闘うために費やすのだ。
そして、あなたが いつもあなたの本能と闘い続けていると・・・・・・。


 ジャイナ教の僧侶は 一年中、裸でいるべきだとされている。
冬であってもだ、寒い夜であってもだ。
彼は マットレスも使えない、彼は 毛布も使えない、彼は 身体を覆うものを何も使ってはいけないのだ。
昼も夜もだ。
彼は 断食をしなければならない。

彼が 断食を 長くすればするほど、同じように条件づけられた人々の目には より偉大な聖人に見えるのだーー 30日間、40日間・・・・・・
これは身体との闘いだ。
これは 身体と物質を征服することだ、これは身体を征服するスピリットだ。
すべての宗教が、ちがう迷信によって 同じような状況に陥っている。
彼らは あなたの知的なエネルギーを本能と闘わせ、あなたの直観が花を咲かせるすべての可能性を だめにしているのだ。

 直観は神秘のバラであり、それはあなたを究極の喜び、そして不死の生命に導いてくれる。
しかし、人々は 死んだ過去の手に 完全に掌握されているようにみえる。
古い文献が何を語ろうと 彼らはそれをやり続けている。
人間の科学全体を 考えもしない。


 これらの三つが 人間の科学全体の層をなしている。
本能は リラックスした流れに乗せるべきだ。

どんな理由であれ、知性は その邪魔をしてはならない。
そして、
知性は 直観を開くために使われなくてはならない。

知性は 人生のかじ取りを 本能に任さなければならない。

そうすれば、あなたの生は 図り知れない光に満ち、輝かしい人生になるだろう。
人生がいつもお祭りのようになる。

Pp. 28-30

「Intuition」OSHO

訳者/山川紘矢+山川亜希子

発行/株式会社KADOKAWA

…「Intuition」OSHO ④

P. 26~
(…知性は、知性を超えたところには何もないと考える人にとっては障害物となりうる。
知性は、知性を超えたところに何かが存在すると理解する者にとっては美しい通路となりうる。)


 科学は 知性にとどまっているーーそのために科学は 意識に関しては理解することはできない。
直観が目覚めていない知性は 世界で最も危険なものの一つだ。
そして、私たちは 知性の危険性のもとに生きている、なぜならば、知性は科学に途方もない力を与えているからだ。

しかし、その力は 子供たちの手の中にある、賢い人々の手の中ではない。

 直観は人間を賢くするーーそれを悟りとよぼう、それを覚醒とよぼう、これらは知恵の違う呼び方にすぎない。
知恵者の手によってのみ、知性は美しい召使として使うことができる。

 そして、本能と直観は完全にいっしょに よく機能することができるーー 一つは 肉体的なレベルで、もう一つは スピリチュアルなレベルでだ。
人間の起こしているすべての問題は その中間で行き詰まっている。
マインドの中、知性の中でだ。
そこでは、あなたは みじめであり、心配があり、苦悩があり、無意味さがあり、解決がどこにも見えない緊張のすべてがある。

 知性は すべてを問題にし、解決法を全く知らない。

本能は 問題を作らない、だから解決法も必要としない。
それは ただ自然に機能する。

直観は 答えそのものだ。
それは 何の問題もない。

知性は 問題だけだ。
それには答えがない。

 もしあなたが 正しく違いを見ることができれば、理解することは易しい、すなわち、あなたの 本能が働かなければ、あなたは 死ぬだろう。
そして、直観が働かなければ、あなたの生には意味がないーー あなたは ただ だらだらと生きているだけだ。
それは 一種の植物人間だ。

 直観は 意味、輝き、喜び、祝福をもたらす。
直観は 存在の秘密、途方もない静寂、落ち着きをもたらす。

それは 誰からも邪魔されることがなく、だれからも奪われることはない。

 本能と直観が一緒に働くと、あなたは 知性も正しい目的のために利用することができる。
さもなければ、あなたは 手段はわかっても結果がでない。
知性は結果を考えつかないのだ。
このことが 今の世界情勢を引き起こしているのだーー科学は ものをどんどん作り出しているが、なぜそうしているのかを知らない。

政治家たちは これらのものを、それが破壊的であることを知らないで、使い続けている。
だから彼らは 地球の自殺を用意しているようなものだ。
世界は 知性を超えて、直観の静寂さに導いてゆくことのできる 途方もない反逆を必要としているのだ。

「直観」という言葉そのものが理解されなくてはならない。

あなたは tuition (指導)という言葉を知っているだろうーー指導は 外側からやってくる 誰かがあなたに教えるのだ。
個人的な教師だ。

しかし、直観はあなたの 存在から起こる何かを意味している。
つまり、それは あなたの潜在的な力だ、だからそれは intuition と呼ばれている。
知恵は 借りるものではない。
借り物は 知恵にならない。
もし、あなたが 自分の知恵を持たなかったら、あなた自身のヴィジョン、あなた自身の明晰さ、あなた自身の 見る目を持たなかったなら、あなたは 存在の神秘を 理解することはできないだろう。

 私に関する限り、私は全くの直観信奉者だ。
私をそうさせてほしい。

 どの宗教も、あなたの直観を邪魔するようにと教えてきたーー断食は あなたの本能の邪魔をしているだけではないかね?
あなたの身体は 腹が減っている、そして食べ物を求めている、それなのに あなたはスピリチュアルな理由から腹ペコでいる。
あなたの存在は 変な霊性に とりつかれてきている。
スピリチュアリティではない、それは単に バカ(stupidity)にすぎない。

あなたの本能が水を求めている、のどが渇いているのだよ、あなたの身体が それを必要としているのだ。
しかし、あなたの宗教は・・・ジャイナ教は 夜には水を飲んではいけないと誰にも水を飲むことを許さない。
身体に関する限り、インドのような暑い国では特に夏は身体が渇きを覚えるーーそして、面白いことに、ジャイナ教は インドだけにある。
私の子供時代、私は夜、水を盗み飲まなければならなくて、罪悪感を覚えたものだ。
私は 暑い夜には少なくとも1回は 水を飲まなければ眠ることができなかった。
しかし、私は 自分がしてはいけないことをしている、自分は罪を犯していると感じたものだった。
奇妙で馬鹿げた考えが 人々に押し付けられているのだ。

私は 本能の味方だ。
そして、これはあなた方に明かしたい秘密の一つだ。

もしあなたが 本能に 全面的に賛成であれば、直観への道を 見つけることは易しいだろう。

それらは 違うレベルで機能しているけれど、両方とも同じものだからだーー 一つは物質的レベルで、もう一つは スピリチュアルなレベルで機能する。

あなたの本能的な生を 罪の意識を感じないで、完全に喜びをもって受け入れれば、それは 直観のドアを開くのを助けてくれるだろうーーなぜなら それは違うものではなく、活動のレベルが違うだけだからだ。


Pp. 26-28

「Intuition」OSHO

訳者/山川紘矢+山川亜希子

発行/株式会社KADOKAWA