"【脳科学者 中野信子】脳がボケない方法" を YouTube で見る

【脳科学者 中野信子】脳がボケない方法 - YouTube


「part 2」

https://youtu.be/7OSbJv2LPTg

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中野信子×加藤浩次 脳科学 - YouTube

…FB より転載---

OSHO:主人とは、観照しているあなたの自己だ。
痛みが来て、その後に楽しみが来る。
幸せがあり、惨めさがある。
そして、瞬間ごとに、何がやって来ようとも、
あなたはそれと同化してしまう。
あなたは客になる。主人を覚えておくがいい。
客がいるときは、主人を覚えておきなさい。

客には実に多くのタイプがある——
気持ちよかったり、嫌な感じだったり、好きな客、自分の客であって欲しくない客、いっしょに住みたい客、避けたい客——
だが、すべて客だ。

主人を覚えておきなさい。
絶えず主人を覚えておきなさい。
主人に中心を据えているがいい。
自分が主人であるということにとどまりなさい。
そうなったら、分離がある。
そうなったら、隙間が、合い間がある——橋は壊されている。
この橋が壊されるやいないや、放棄という現象が起こる。
そうなったら、あなたはそのなかにいるが、その一部ではない。
そうなったら、あなたは客のなかにいても、依然として主人だ。
あなたは客から逃げる必要はない——必要がない。

OSHO

…男にも “生理”が---

男にも生理があるんですよ?|気まぐれ産婦人科医のひとりごと

…「睡魔---」

…友人の FB投稿記事をシェアします。



瞑想中に
眠気を
もよおすならば、
昏沈の影響を
受けている。
昏沈の克服に役立つのは
呼吸だけである。
鼻から出入りする息は
真の呼吸ではないが、
真の呼吸の出入りは
これと
結びついて起こる。

瞑想中に
強い睡魔に
襲われたら、
呼吸を
見守りはじめなさい。
そうすれば
眠気は消える。
ヴィパッサナをやっている
多くの仏教徒
不眠症
悩まされるようになるのは
そのためだ。
私はヴィパッサナを
やっているために、
不眠症
なっている人たちに
大勢出会った。
しかも
彼らはそれに
気づいていない。
呼吸を見守っていると、
眠りが妨げられるのだ。

だから、
私は
サニヤシンたちに
こう言っている---
けっして一日に
二、三時間以上
ヴィパッサナを
やってはいけない、
と。
しかも
その数時間は
日の出から
日没までのあいだに
かぎられる。

日が暮れたら
けっして
やってはいけない。
夜中に
ヴィパッサナをすると、
眠りがかき乱される。
そして
眠りがかき乱されると、
身体中のメカニズムが
かき乱される。

ある
セイロンの僧侶が
私のもとに
連れてこられた。
三年間、
彼は眠れない状態が
続いていた。
真面目な僧侶だった……
それが彼の問題だった。
ヴィパッサナの
すばらしさを信じるあまり、
彼は朝から晩まで
一日中それをやっていた。
寝床に入って、
なかなか
寝つけないときにも、
ヴィパッサナをやっていた。
寝床で
ヴィパッサナをやれば、
眠れなくなってしまう。

呼吸に
繊細な注意を
払っている人に
眠りは訪れてこない。
試してみるといい―
不眠症になりたければ、
試してみるといい。
睡魔を払うには
呼吸を見守るのが一番だ。
なぜなら、
呼吸は生であり、
眠りは死だからだ。
それらは
互いに対立し合っている。

子供はまず
呼吸をすることによって
生きることをはじめる。
人生で
最初に行なわれる行為は
呼吸であり、
最後に行なわれる行為は
息を吐き出して、
二度と呼吸をしないことだ。
最初の行為は
息を吸うことであり、
最後の行為は
息を吐くことだ。
息をしていなければ、
死んでいるとみなされる。

これを
覚えておきなさい。
眠るためには
呼吸のことを
すっかり
忘れてしまわなければ
ならない。
眠りは小さな死、
ささやかな死であり、
美しい死だ。
眠りは
休息とくつろぎを与え、
人は翌朝になると
溌剌として若返り、
元気になって
死体置場から
もどってくる。

瞑想中に
睡魔に襲われたら、
呼吸を見守りなさい。
そして、
夜はけっして
呼吸を見守る瞑想を
してはならない。


Osho - The Secret Of Secrets 

"OSHO: Life Is A Very Mysterious Phenomenon" を YouTube で見る

…日本語字幕は 有りません---字幕は英語で楽しみましょう。

OSHO: Life Is A Very Mysterious Phenomenon - YouTube

…いわゆる宗教ではなく “宗教性” ---

…友人が FB に投稿している記事です。(OSHO の 講話…抜粋)


私はどんな例外もなく、
あらゆる組織宗教に反対だ。
理由は単純で、
真理は組織されえないし、
愛は組織されえないからだ。
それは、
政治ではないのだ。

これらすべての宗教が、
あなた方を群衆の一部にし、
群衆に依存させてしまった。
これらの宗教は、
あなたの個人性、
あなたの自由、
あなたの知性を
取り去ってしまった。
かわりに
何の意味もない
偽りの信条を与えた。

信条とは、
ただ自分を欺くための
策略にすぎない。

あなたは、
求め、
探求し、
発見する道を
歩み続けたくはない。
それは
骨の折れることだ。
なぜなら、
あなたは多くの迷信を落とし、
真理を知ること、
自分自身を知ることを妨げている
過去からのプログラミングを
解かなければならなくなるからだ。
どんな信条も助けにはならない。
そしてあらゆる宗教は、
信心し、
あらゆる宗教が
信条に基づいている。
それゆえに、
それは「信仰」と呼ばれている。

真理は探求だ、
信仰ではない。
それは問いかけだ。
信条ではない。
それは問い、
探索だ。
この探求を避けるために、
あなたは簡単に騙されるようになる。
食いものにしようと
手ぐすねを引いている誰かの
犠牲者になってしまう。

宗教は死んだ組織ではなく、
全存在に対するある種の宗教性、
愛情深いハート、
親しみ深さであるべきだ。
そういうもののためには、
どんな聖典もいらない。

真の宗教性は、
どんな予言者も、
どんな救世主も、
教会も、法王も、
聖職者も必要とはしない。
なぜなら、
宗教性とは
自分のハートが花開くことだからだ。

宗教性とは、
個人的なことだ。
それは、
あなたから全宇宙への
愛のメッセージだ。
その時初めて、
あらゆる誤解を超える
平和が訪れるだろう……
そうでなくとも、
こうした宗教が
これまで寄生虫でありつづけ、
人びとを食いものにし、
人びとを奴隷化し、
人びとに無理やり
信じ込ませてきたのだが、
信条はすべて
知性に反している。



Osho: The Greatest Challange